則るか、乗っ取るか – 想定と予防、想定と対処の押し問答2014/8/15

何と言うか、レジスタンスというか、盗んだバイクで走り出す感じになってますが、夏ですし。フワッと韻を踏みたくて浮かんだ言葉ではあるんですが、物事にアジャストしようと思うと、概ね、則るか、乗っ取るかの二元論に収斂されるのではないかなあと。優等生になるか、不良になるか、ということか。

ちょっと遠回りしてこのこと考えてみると、読書というのがあります。最近、割と本をまた読んでいる。という時に、概ね感想というのは則るか、乗っ取るか、に帰結するような気がします。僕、割と則るタイプなような気がして、基本褒めますし、本当につまらなかったらそもそも感想書かないし(たまにつまらなかったって感想書いちゃう時もありますが)、本を読む時は、本を書いてる人の思考回路に則って読む、というのが読書の楽しみ方ではないかと思ってます。

別に著者の人と議論しようとかそういう世直し的な気概はないので、どちらかというと、書いた人に則って読んで、その延長上に自分の経験を置いてみたり、そこから物語を紡いでみたりできるか、みたいなのが概ね僕の読書感想ではないかと思います。これただ、ガッツり乗っ取りにいく人もいますよね。そういうので論壇って形成されるんだと思うんだけど、僕あんまりそこの戦いに興味はないので、総じて「則る」派です、読書では。

さて、仕事はどうか。客商売は基本的にやっぱり則らないと始まらないと思うんですよね。ルールや倫理、規定やマナーは、クライアントがそのベースを持っている。その中で、どれだけできるかということのような気がします。まあでも、世の中には既存の原理原則をテイクオーバーしていくような仕事もあるし、そういうのはやっぱりダイナミズムがある気もします。「負けない唯一の方法は戦わないこと」とか言っちゃうと、まあこれ真理の一つで、後は勝負どころを見誤らないことだと思うんですよね。負け戦もあるわけですが。

まあただ、物事に処する時に、則るか、乗っ取るか、という基本的なアティテュードの違いで、要求されるスキルセットやパーソナリティって変わってくると思うんですよね。そういうことをわきまえてるのは大事な気がして、勘所も全然違ってくるし。

例えば防災ってことだって、災害に対して則るか、乗っ取るか、で方法論全然変わってくるし、この辺の判断というか使い分けが、どうやらリジリエンスってことにも繋がっていくような気もしてます。今日、ユレッジに松下弓月さんの原稿を公開しました。

「防災の選択肢に仏教を加える」 – 松下 弓月 / 僧侶 – ユレッジ : 日本の「揺れやすさ」と地震防災を考えるサイト

仏教では苦しみが生じた縁起の連続を逆にたどり、原因となったものをひとつずつなくしていくようにします。先ほどの例で言えば、恐れ→求め→欲望と流れをさか登っていき、欲望を捨てることで物事が自分の思い通りになるように求めることをやめ、求めることをやめることで恐れのない平安な心を手に入れることを目指すのです。

物事の原因と結果の関係をよく考えて、よくない結果につながる原因をひとつずつ取り去っていく。これが仏教の根本的な考え方です。

では、この縁起の考え方をどう防災に活かすことができるでしょうか。それは予測可能な部分に関しては問題の原因につながる原因を取り除くという具体的な行動を取り、それ以上の予測困難な部分に関してはそうした状況が引き起こす影響をできるだけ弱められる可能性のある準備をしておくということになるでしょう。

これつまり、想定と予防、想定と対処、という対比ですね。世に言う、東洋医学と西洋医学の違いみたいな話でも引き合いに出る。ここを切り分けた上で、合わせ技一本とするのが、おそらく危機への柔軟性になるんですよね。そういう意味でこの仏教を通じた考察はすごい示唆的です。

だから、則るだけだとただの優等生になるし、乗っ取ってばかりだとただの不良になるので、ちょうど良い按配になるのはどういうことかって話なんだと思うんですよね。

そんなことが今回の松下さんの原稿の、僕の超個人的な感想だったりします。

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