未来の見据え方 – プロトピアの話2017/1/7

最近、読み始めた本で、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』というKevin Kellyという人の本があります。そこの冒頭で気になったのが、「プロトピア」という言葉。

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則
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ここに該当する部分、WIREDで記事になっていて、読むことができます。

テクノロジーの進化の先に、明るい未来が想像できないのなら:ケヴィン・ケリー|WIRED.jp

人間が目指すところは、ユートピアでもディストピアでもなく、あるいは現状維持でもなく、「プロトピア」だと思う。

プロトピアとは、ほんのわずかであっても、昨日よりも今日よりもよい状態である。プロトピアを視覚化することはきわめて困難だ。なぜならば、プロトピアは新しい利益と同数の新しい問題を含んでいる。このような有用と崩壊との複雑な相互作用を予測することは非常に難しい。

これなんか確かに大事そうなのだけれど、そもそも概念がわかりづらいので、概念自体の視覚化を試みてみたのが上の図です(プロトピア自体を視覚化することは難しい)。

プロトピアの語源には「プロセス」とか「プロトタイピング」とかいうことを含むそうなのだけど、まさしく僕らがモノを作りながら体感している、「ちょっと先の未来を手を動かしながら考える」みたいなことが極めて現実的な未来像ということなのかなあと思いました。Here Now(最近よく言われているイマココってやつですね)を考えるだけでも駄目で、今日よりもよい状態を目指す過程で朧気ながら形作ってる極めて近い未来、それのアップデートが「プロトピア」なんだろうと思うんですよね。その先には「特異点」があって、本当に確かな未来は想像できないかも知れない。なのだけど、人はプロトピアで格闘するべき、ということなのだろうと思います。

いまは誰も未来へ行きたいとは思わない。みんなそれを避けようとしている。いまから百年後の生活に憧れてはいない。多くの人はそれを恐れている。そのせいで、未来を真剣に考えることが困難になっている。だから世代にわたる展望がない。いまのわたしたちは、短期的な考えにはまりこんでいる。

さらに、「特異点」という見方を認めている。すなわち、百年後の未来を想像することは技術的に不可能だというのである。したがって、わたしたちが目指すプロトピアは存在しない。

このように未来が見えないことは、現代社会では不可避な苦悩なのかもしれない。たぶん、現在の文明および技術の発展段階においては、永続的かつ間断なく未来が見えない状態に突入しているのだ。ユートピアもディストピアもプロトピアも、すべて消滅している。「見通しのきかない現在」があるだけだ。

そういうこともありうる。しかし、未来が見えないいまの状態は、過渡的な局面にすぎないとわたしは思っている。望ましい未来の妥当な展望、すなわち今日よりも少しだけよい未来の展望が、いつか再び生まれるようになる。

こういうある意味、至極当たり前のことが(だって遠い見通しの効かない未来を想像するより、より良いの延長にある近い未来を目指す、みたいなことって当たり前ですよね)、アカデミズムのフィールドでも再定義されてるって、結構面白いんじゃないかなと思いました。

プロトピア、覚えておこう。

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