残すの美2017/1/8

これ何の写真だかわかりますかね?季節外れに残された紫陽花の花脈が、陽光に照らされて妙に綺麗だったから写真撮ったものだったのだけれども。

例えば、食べ物を残すと言った時の「残す」は割とネガティブな言葉だけれども、名を残すと言った時の「残す」は割とポジティブな言葉だなあとか。残念、残骸、心理描写にも物理的なものにも使われますね。この辺、ネガティブっぽいけど、残響とかちょっと趣のある言葉もありますね。まあ、残酷とか、残業とか、概ねネガティブか、やっぱり。あと子孫を残す、ということもできるし、子孫に残す、ということにもできたりして、なんか日本人の感覚に強く働きかけている言葉なのではないかなあと思いました「残」。残りもののくせに。

例えば、生きる意味、みたいな割と大上段な主題を振りかざした時に、目的を達成するとか、夢を叶えるとか、本懐を遂げるとか、あると思うんですが、最近感じているのが、そういうことより、なんか残したいんじゃないかな、とかふと思ったんですよね。

起業家だったら会社が100年200年続くことが残すかも知れないし、なんか政治家だと例えば条約を締結したこととかで歴史に名を残してたりしますよね。勿論、子々孫々、家族を作って次の世代を残すこともあるし、アーティストなら美術館に作品が収蔵されるとか、お坊さんだと即身仏とかもありますね、そう言えば。。。ツタンカーメンとか始皇帝とか、自分を残そうとした人たちは歴史上たくさんいますね、そう言えば。

もっと些細なこともあるでしょう。贈り物とか、手紙とか、言葉とか。ブログもここの400万字余りもしかしたら残るのかも知れないし(死ぬまでに何万字になるかという問題もあるが)、作ったものとかも残るものもあるかも知れない。料理は食べれば消えてなくなるけれど、写真に撮れば残りますね。人の笑顔とかもそうだ。感触とか、感覚とかも、例えば言葉にしていれば残るのかも知れないですね。

大きな何か、だから「未来」ですよね、そこに向かっていく時に、何かを目指したり、何かを達成したり、何かを叶えたりするの大事なんだけど、最近思うのは、それを打ち上げ花火にしたくないな、という気がしていて。なんかだから未来に向かいたいんだけど、そこに至るまでに積み上げたものは、同時にきちんと残していきたいという思いあり。それってもしかしたら、死を意識せずして、生への執着なのかも知れないなあと。誰が受け取る約束をしているわけのものでもないんだけど。何となく、「これから」に漂うものを残したい、というか。

逆に言うと、花火を打ち上げた時に、何が残ったかを共有するのも「技術」かも知れない。そこで一言声を発するだけで何か残るものがあるのかも。

カナエールのプロモーションを4年ほどやって来て、「オーパーツ」と勝手に呼んでいるディレクトリがあります(まだ僕現役だけど)。ここに今までプロジェクトに関わって来たプロセスで、コミュニケーションのために可視化したものが色々溜めてあって、全部が全部今後も役に立つものかはわからないけど、その辺もただやった、じゃなくて、残す意味かなあと思います。少なくとも、去年自分が残したものは、今年僕の役に立つ。より良くするためには、今のために過去が残ってる必要があるんですよね。これ、Google Analyticsでアクセスを前年と見比べて現在の状況を確認する、みたいなことからしてそうだけど。

「作る」と「残す」、似てるようで違いますね、やっぱり。何が残るんだろう。

何も残さないことを以って潔しとする考え方もあるだろう。

まあでもなんか残したいんだろうなあと思うんですよね、僕は。

役目を終えて、朽ちて、枯れて、それでも残ったものに価値が残るか。

紫陽花の花脈ってそういうものだなあと思ったのでした。

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