当事者意識の科学2017/3/12

当事者意識って言葉、特にダイバーシティのことや社会問題の啓発が進んでから聞くようになりました。最近、改めて、当事者意識みたいなことを考えていて、今回は少し迂回して話を進めてみようと思います。

例えば、料理を食べるということについて。料理を食べて美味しいと感じること、に加えて、料理を作るという経験を持っている人は、料理に対して類推できることが増えるように思います。料理を作るだけでなく、例えば、土を耕した経験がある人は、野菜に対して類推できることが増えそうだし、魚を捌いたり、肉を捌いたりしたことがある人は、質や鮮度について類推することが増えそうです。水族館行ったり、牧場行ったり、釣りしたり、場合によっては狩猟を体験したり、魚や肉の姿かたちを切り身やブロックでしか知らない、というのとは類推できることが違いそう。

味噌、考えみましょう。その昔、多くの人は味噌作ってたんだろうと思うんですよね。でも味噌買って来る人もいたでしょう。という時に、味噌美味しいと思って、これについてもっと知りたい!って思ったら、味噌作るところ見に行ってたんじゃないかと思うんですよね。インターネットで味噌の情報を検索したりすることもできないだろうし、逆にあんまり遠くから味噌を運んで来るということもできなかったろうし。便利になった世の中は、一見、豊かな経験に溢れていそうだけど、一方で、情報が氾濫することに寄って、経験の機会を逸しているとも言えそうです。こないだ結城で買って来た味噌美味かったので、なんかそんなことを思った。

例えば、デザインをするということについて。デザインを見て素晴らしいと感じること、に加えて、デザインをするという経験を持っている人は、デザインに対して類推できることが増えるように思います。いわゆるデザインってとても広義だけど、例えば、子どもに絵を描いてあげたことがあるかとか、町内会のイベントでチラシを作ったことがあるとか、趣味でアクセサリーを作っているとか、洋服をリメイクしたことあるとか、ガンプラが好きだ、みたいなこともあるかも知れない。作る時に人は何を考え、どんな難しさがあり、どんなことに気を配るのか、そういう想像力が働くということは、デザインに対して類推することが多くなりそうな気がします。

この例えば話、いくらでも書けそうですよね。何かに向き合う時に、そのことに想像力を働かせるための材料を持ち合わせているかどうか、経験があるかどうか、というのは大事なことだと思います。想像力を働かせるというのは、経験をなぞらえる、ということに近しい。

寄り添うには、自分の中に、それに準じた経験を探すことになる。

良いものに触れることも大事なんだけど、良いものばかりを追っていると、美味過ぎるもの、カッコ良過ぎるもの、刺激が強いものに引っ張られ過ぎちゃうというか。

当事者意識って言葉はいかついですよね。でも、こういうことかも知れない、ああいうことかも知れない、と自分の経験を参照しながら類推する作業というのは、人が料理を食べる時、デザインを見る時、やってること別に遠くないんじゃないかなあと思うんですよね。ポジティブな経験、ネガティブな経験、あるんだろうと思いますが。そういうことと同じように、ダイバーシティのことや社会問題もあるというか。

それくらい分解しちゃって良いと思うんですよね、当事者意識。科学。

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